肩揚げポテト卒業

今週のお題「卒業」

 

一昨日くらいのこと。

肩揚げポテトの枝豆&にんにくを食べてみた。

 

違う。

 

 

何が違うのか。

肩揚げポテトは私が知る中で一番かみごたえがあり且つ固すぎず旨い菓子だった。

 

でも今何かが違った。

飽きたのだ。

 

考えてみれば去年の誕生日、友人に誕プレとして大量のじゃがりこをもらって、それを2日で食べて飽きたじゃないか。

あの時だって一年くらいじゃがりこを2日に1回は食べてたとどめがあれだったのに。

 

あんなに毎日食べて、ピークは一日に2袋食べた肩揚げポテトがこんなに美味しく感じられないなんて。

あっという間の幸福の時間が消費する長い時間になるなんて。

 

おそらく最近、自炊をしたことでお菓子をつまむタイミングと意味を見失ったのが原因だと思われる。せっかくご飯作るのにお菓子食べておなかふくらましてどうするのよと。

 

ありがとう肩揚げポテト。

おそらくこれからコンビニでどんな魅力的なパッケージで挑もうと私は戻らない。

 

ところでなんでフライドポテトはもうすぐ食べまくって20年なのになんで飽きないのかしら。

そして今日もマクドナルドでポテトLサイズ190円クーポンを開いて注文するのだ。

 

 

 

 

私の尻が火を吹いた

自炊を始めて一ヶ月。

お花摘みをしていた最中である。

 

いつも私の摘む花といえば柔らかいふわっとしたすみれとかタンポポのような感じだったのだが、その日はなぜだかラフレシアが現れたのである。

 

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Google検索より

 

こんなの今まで生えてたかしら。

 

そう思いつつも、ついえいやっとその巨大かつ硬いラフレシアを引き抜いた瞬間。

 

 

 

 

 

「ピッ」

 

 

 

 

 

嫌な予感がした。

私は尻をそっと確認すると、一滴血が滲んでいるではないか。

 

 

 

 

 

こんな絶望のようなどうしようもない気持ちになったのはいつぶりか。

 

サンタクロースなど実在しないと知った時。

 

人間は必ず死ぬのだと知った時。

 

脇にどう見ても父親より立派な毛が生えてきた時。

 

人間は大人になったからといって必ずしも内面まで成長するとは限らないと悟った時。

 

起床後数時間経っても顔に出来た皺が消えなかった時。

 

 

 

このレベルに匹敵するくらいショックだった。

 

 

 

いや、これはまぐれかもしれない、ちょっと力を入れてしまっただけよ、もうあんなラフレシアなんて生えてこないわ。

 

 

しかし翌日、昨日に劣らないラフレシアがまた咲いており、案の定であった。

 

 

私はすぐに検索した。

 

 

 

「切れ痔  20代  原因」

 

 

専門家による解説を深刻な顔で読む。

「20代女性に多発しやすいものです。出産を経験していなくても、便秘など食生活が〜」

 

いや先生、私自慢じゃないけど今まで一度も便秘になった事ないんです。ただなんかたまたまあのラフレ

 

「運動不足」

 

あっ

 

「長時間座ったままなど同じ臀部を鬱血させる同じ姿勢」

 

うっ

 

「シャワーのみですませるなど湯船につからない」

「豆類、穀物、根菜類の不足」

「ストレス」

 

思い当たる節しかないじゃないかということで、とりあえずこまめに歩く様にする、食物繊維が豊富な便秘解消(便秘じゃないけど柔らかくする意味合いで)に効果的な食材の摂取を行うことにした。

 

夜眠る2ー3時間前にヨーグルトを摂ると腸に良いと聞いたらそれを試し、雑誌の健康特集に載っていたひじきとクルミの和え物と人参と切り干し大根の和え物を作り置き食材として作り朝と昼に摂取。朝ごはんもパンから白米、味噌汁へ。湯船にも毎日浸かり極め付けにバスロマンを入れてやる。睡眠も大切なので夜更かしはしない。水分摂取も忘れずに行う、因みに水or緑茶。

 

 

 

 

 

なんだこの年配女性みたいな健康的な生活。

 

 

 

一応まだ20代な訳で、なんなら私より年齢上の奴らはやれオールしたとか酒飲みすぎたとか肉しか食ってねぇとか言ってるのに。しかも1人暮らしという夜中にお菓子パーティー始めても誰にも怒られない環境下なのに。

 

そんな根本的な自分の真面目さと健康さに舌打ちしつつもここ二日は無事である。

これで回復すれば良いのだけれど、食生活はおそらくこの健康番組みたいな感じをしばらく続けてしまうのだろう。いいんだけど、なんか所帯染みてる。

 

 

 

 

ラフレシアをその例えとして利用いたしましてラフレシアを愛している方に大変申し訳ございませんでした

友達100人は次の日には友達何人になる

夏休みなので(仕事はあるが)、友人とどこかに行こうと、ある友達にラインを送った。
かれこれ数週間が経過したが既読される気配すらない。
ラインを送った相手をAさんとする。
Aさんと私は去年知り合い同じ仕事をし、昼食を共にしたり休日外食に行ったりなどしていた。
1月には食事に行き、そして4月末のラインではいつも通り、穏やかにやり取りをした。相手を傷つけるような発言や行為も何もしていない、する間もない7月、Aさんとは音信不通(性格に言えばラインのアイコンはちゃっちゃ変わるのでブロック)状態になってしまった。
空白の2ヶ月に何が。



多分何もない。何もないから友達削除をしたのだろう。
私のライン画面「友達」リストにAさんがいるのがなんとも滑稽。
友達とは果たして何かと哲学的なことを考えてみる。
「いっちねんせーぃになったーらー」という歌い出しの曲があるが、あれは本当に友達100人できたのだろうか?
『100人で食べたいなーだから、あれは1人欠けてるんだ』とか偏屈な意見ではなく、主人公が100人目の友達が出来た頃に、1-99人目の友達達は主人公を友達だと思い続けているのだろうか?という所。
よほど主人公が魅力に溢れた人物で、コネとして彼との繋がりはキープしておきたいと思われるか、主人公が定期的に100人に連絡を頻繁に入れ関係を保つかしなければ、仮に日本中のおにぎりをみんなで食べられてもその2ヶ月後には(あいつ人脈増やしたいとかなんとか言ってたけどもう音沙汰無いしな)とか思われ数名と音信不通になる可能性が高いのではなかろうか。
自分が友達と思っていても相手がそうでなければ、それは友人とは言えないだろう。
例えばフェイスブックで友達何百人といることをアピールしているパリピが、どうしようもなく落ち込んで涙で枕を濡らした夜に話を聞いてくれる人は果たして何人居るのだろうという事。

友達が多いという人に聞いた際、関係性は浅く(知り合ったばかりやなんの仕事をしてるのか何歳かさえ怪しく軽い世間話しかしたことの無い)、知り合った期間が短い事が多いと知り驚いたことがある。
人間そう多くの人と付き合えないから、結果人間関係は新しいものが増えれば古い付き合いは減りとなるのだろうか。
でも、自分は切り捨てられる程度の人間なのかと思うとどうにも切ない。
この虚しさをどうするべきか。
そう思いながらまた私は新しい人と出会う、そして誰かが音もなく離れていく。